脊椎・脊髄・神経外科外来

診療科・部門紹介

1.私の師匠、ライフワーク、手術実績、そしてこだわり・信念

8月1日より、整形外科に勤務しております乗上です。よろしくお願い申しあげます。
昭和33年生まれの47歳、妻、小1・女、幼稚園年長・男、2歳・女 の子供3人、実家は青森県三戸郡田子町で両親、地元で歯科開業の兄夫婦がいます。

中学(15歳)まで田子町、高校三年間は八戸高校(下宿)で青森県は計18年、18歳より福島県立医大、24歳から33歳まで福島医大整形外科やその関連病院勤務、福島県での生活 計15年。
29歳時、一年間、大阪市大整形外科に内地留学。
33歳から36歳まで大阪市大整形外科、36歳から47歳まで11年間、大阪市立総合医療センター整形外科勤務、大阪での生活は計15年とどういうわけか、これまでの人生は15年区切りのようであります。

卒後、福島赤十字病院研修(25歳時)で田島 健先生に一年間、指導していただきました。
当時、腰椎外科では全国的に有名であり、また、先生も青森県三戸町生まれで八戸高校出身であり、その影響で自分の専門を脊椎外科に決めました。28歳時、福島県立医大 菊地 臣一先生(現教授)にも、脊椎外科の基本を教えていただきました。

その後、上肢あるいは下肢のしびれ・運動麻痺などは脊椎疾患以外にも、末梢神経疾患でも多く、脳以外の神経疾患は全部診れる外科医になろうと志をもって、29歳時の一年間と33歳~34歳の二年間の二回、大阪市大整形外科 松田英雄先生へ脊椎外科・末梢神経外科(腕神経叢損傷がメイン)・電気生理学的手法(いわゆる筋電図)を勉強に内地留学しました。

34歳時、松田先生が大学を御退職したため、完全なプータロー(今で言うフリーター)となり、36歳まで大阪でアルバイト生活しながら、低侵襲な顕微鏡下脊椎脊髄手術を勉強に広島市立安佐市民病院整形外科(故馬場 逸志先生、住田 忠幸先生)に、そして末梢神経・運動再建外科(腱移行術)を勉強に東京大学整形外科(長野昭 現浜松医大教授)で研修しました。

36歳時、開院したばかりの大阪市立総合医療センターに松田先生の推薦で赴任しました。
最初は3年ぐらいの予定で赴任しましたが、この病院はこれまで自分が勉強したライフワークの実践が地理的、アメニティー上も恵まれており、結局11年間、本年3月まで勤務しました。
術者・主治医として経験できたのは、脊椎外科996例(主に顕微鏡下手術)、末梢神経・運動再建外科465例、計1461例でありました。

あっという間に47歳となっておりましたが、急に本年4月より、転勤を言われましたので、大阪市を辞めることとしました。
そこで勤め先を捜しながら、7月中旬まで2カ月半程、これまでの学会活動と多少の実績もあり、脳神経外科で脊椎外科手術が日本で一番多い、大津市民病院脳外科、再び広島市立安佐市民病院、そして、広島手の外科センターに手術研修に行きました。

そういうことで、これまで自分で門を叩いた6人の師匠に指導していただいたことと1500例弱のライフワークでの手術経験は、現在、私の財産でもあり、誇りであると考えております。自分では手の外科ができるNeuro-orthopaedic surgeon(神経整形外科医)と思っております。

2.何故盛岡にきたのか?

前任地ではかなり、危機的な大阪市の財政難のところで、医療経済の面ではかなりの貢献をしてきたと自負しております。
「一度はこれまで自分が身に付けた得意とするスキル(低侵襲性顕微鏡下脊椎手術、末梢神経・運動再建外科、シビレや運動麻痺の鑑別診断)を故郷の人あるいは東北地方の人に還元してみたい」という思いがどこからか湧いてきました。
そしてこれが一番の親孝行とも考えました。
実際、田子町の親は大変喜んでくれております。
実家の田子町は「はやて」の開業により、盛岡の方が八戸より、身近になり、妻、子供らはいまでも、大阪に居たかったと言っておりますが比較的、新幹線も便利で東京に近く、盛岡ならばとOKをもらいました。また、安比スキー場が近いので決めました。

これから高齢社会に伴い症例の多い、圧迫性頚髄症、頚椎椎間板ヘルニア、頚部神経根症、腰部脊柱管狭窄症、腰椎椎間板ヘルニアに対する顕微鏡下・低侵襲性手術そして手根管症候群、肘部管症候群などの低侵襲手術、しびれや運動麻痺に対する電気診断(臨床神経生理)を中心に診療したいと考えております。
これをお読みの一般の方々、手のしびれや坐骨神経痛などでお悩みの方は、私の外来(月曜日、火曜日、水曜日)を受診していただければと思います。また、クリニックご開業の先生方にもよろしくお願い申しあげます。

3.趣味

現在の一番の趣味は2年半前から始めたテニスです。
スキーは学生時代、アルペンスキーをしていて、北日本医歯学生でスラローム3位となりました。
ここ10年ほどやってないので楽しみです。
盛岡で子供3人にスキーを教え、少なくともジュニアスキー1級を小学校の内に取れたら、それだけでも盛岡に来て、プラスだったと思います。
すでに兄の友達で安比のインストラクター(県の基礎スキーの1位を目指している若者)に先日、会い、スキーの指導を頼みました。

卓球は学生時代、最も力を入れたので東医体、個人ダブルスで2年連続優勝しました。
先日14年ぶりにラケットを買い、友愛病院卓球部の人たちとやりました。
テニスをしているためか、予想以上にできました。
この3つのスポーツを自分の健康のためにも継続したいと考えております。あとは、友人と学会活動を継続しながら、旅とおいしい酒が趣味です。

4.外科医はツールにこだわるべきである

これまで自分の専門領域で一流の先生方に指導していただきましたが、すべての先生が個々に手術道具へのこだわりがありました。私もそう考えております。

5.For the patient

私の友愛病院勤務の使命としては、大病院とは異なり、マンパワーを要しなく、全身合併症の少ない脊椎あるいは末梢神経外科疾患の患者さんをいかに安全で侵襲が少なく、良質な手術的治療を多くできるかであります。
まずは背伸びせずにFor the patientを忘れずにやっていきたいと思います。

6.勤務医の公的病院離れ、これからは民間病院の時代

40代半ばとなると公的病院の勤務医は非合理的会議の多さに加え、責任所在をどんどん押しつけられ、さらに給与は安く、疲れ果て、全体的にはモチベーションの低下傾向にあると思います。
前任地で一緒に働いていた同い年の心臓血管外科医(学閥的しがらみのない医師)は数年前、大阪市立医療センターから民間の新東京病院にヘッドハンティングされ、さらに現在は榊原記念病院に勤め、日本で一番心臓血管手術をしている男とマスコミで取り上げられております。

3月まで、がんじがらめの公務員であった私も外科系勤務医においては、これからは生き方にもっと多様性があってもよいとの結論に達しました。
これからの民間病院は医師に対して働きやすい環境にしてくれれば、公的病院からは腕の立つ医師は減少してゆく可能性があるのは近畿圏にいて感じられました。

7.おわりに

開業医の後継ぎではないので、「仕事はやりがいをもって社会貢献でき、楽しくそして、おもしろおかしく」をモットーとしながら、家族と自然を楽しみ、また、スポーツも積極的にしながら、東北での生活をしてゆきたいと考えております。
いろいろとこれまでの23年の整形外科医人生から感じた持論を勝手に書かせていただきました。
もう10年経てば多分、もう少し、自然に丸いことを言えるようになると楽観しております。
改めましてこれからよろしく、お願い申しあげます。

〒020-0834 岩手県盛岡市永井12-10

TEL:019-638-2222(代表)

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